法華経について
2018年3月29日
皆様こんにちは 北村です。
桜の季節となりました。
現場に行く途中で帷子川の綺麗な桜に思わず足が止まり
カメラに収めてしましました。
川底に向かって咲き誇っているようで、とても神秘的な桜の木なので
私の他にも この桜に見とれている人が何名かいらっしゃいました。
桜が咲く季節はまだ気温の変化が激しく、不安定な気候で
それが桜の花が咲くのに適しているのだそうです。
なので、「お花見をする際には天気が良くても上着をお忘れなく」
とよく言われる理由ここにあり とのことでした。
★ 今回は仏教の法華経について考えてみました。
「法華経」とは現代的に言うと 「花の教えの経文」ということになり、
具体的には 「蓮の華に例えた仏教の中心的な教え」とうことだそうです。
泥の中でも決して泥に染まることなく、美しく花を咲かせる「蓮の華」。
「世の中は欲が満ち溢れ、苦しみや悲しみが多い世界ですが、そのなかで
決して悪に染まらず美しい人生の花を咲かせていくこをを目標にして
たとえどのような環境のなかにあっても、泥沼の中から咲く花のように
自分の人生に自分だけの一輪の花を咲かせることが大切である。」
ということが「法華経の意味」だそうです。
話は変わりますが、
戦国時代の武将で織田信長というひとがいます。
人生50年
下天のうちにくらぶれば
夢幻の如くなり
一度生を受け
滅せぬもののあるべきか
というのが彼のもっとも好んでいた詩であり
事実上の辞世の句と言われています。
私が自己流に現代的に翻訳しますと
「人生50年というのは、あの世の天国の永遠の世界に比べればあまりにも短く
夢幻のようである。ひとたびこの世に生を受けたということは、つかの間の出来事である。
この短い人生で悔いのないように生きなければ勿体無いではないか。」
と解釈しています。
ある意味で「仮の世」であるこの世に ありがたくも生を受けたのだから
人様のお役に立てる人になり、一輪の花のように見ている人を喜ばす。・・・・・
そういう生き方をしていきたいものだと改めて思いました。
「法華経」と「織田信長」・・・・・・・ 不思議な共通点があるような気がしています。
このブログの読者の皆様といろいろな機会に これから
人生のヒントになるような言葉、本、映画
などを共有できたら良いな~ と 考えています。